鍵山優真の中学や小学校はどこで転居歴は?通信高校を経て中京大へ!

スケート
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フィギュアスケート男子シングルの鍵山優真選手は、2024年4月に中京大学3年生になりました。

2022年北京オリンピックの銀メダリストであり、将来、次期オリンピックをはじめ、世界大会で活躍することを期待されている注目選手の一人です。

 

そんな鍵山優真選手の出身中学や小学校はどこなのでしょう。

出身地は神奈川県横浜市なのですが、何度も転居歴があるという情報もキャッチしました。

 

通信高校を卒業後、2022年に中京大学へ進学した鍵山優真選手。

今回の記事では、鍵山優真選手の小学校から大学までの学歴と、転居歴について、ご紹介いたします。

△この記事でわかること△
■鍵山優真の出身中学校はどこ?
■鍵山優真の出身小学校はどこ?
■鍵山優真の転居歴
■鍵山優真は通信高校卒!
■鍵山優真は中京大学へ

鍵山優真の出身中学校はどこ?

鍵山優真選手の出身中学校は、横浜市立六角橋(ろっかくばし)中学校です。

2003年5月5日生まれの鍵山優真選手は、2016年4月から2019年3月までこの学校に在籍していました。

学校名 横浜市立/六角橋中学校
所在地 神奈川県横浜市神奈川区六角橋5丁目33−1
公式HP https://www.edu.city.yokohama.lg.jp/school/jhs/rokkakubashi/

 

六角橋中学校は、公立の学校ながらスポーツ強豪校として知られています。

特に、柔道部は全国大会常連レベルと言われています。

主な有名選手としては、

・羽賀龍之介選手(2016年リオ五輪 柔道男子100キロ級銅メダル)
・山本杏選手(2022年5月柔道全日本強化選手選考会 優勝)

 などがいます。

 

そして、俳優のムロツヨシさん、歌手の山本リンダさんの出身中学でもあります。

横浜銀行アイスアリーナで練習!

鍵山優真選手が、六角橋中学校に在籍していた期間、「横浜銀行アイスアリーナ」に練習に通っていました。

施設名 横浜銀行アイスアリーナ
所在地 神奈川県横浜市神奈川区広台太田町1−1
アクセス JR線 東神奈川駅より 約5分
京浜急行線 京急東神奈川駅より 約7分
東急東横線 反町駅より 約5分
京浜急行線 神奈川駅より 約10分
公式HP https://yokohama-icearena.jp/

 

六角橋中学校から横浜銀行アイスアリーナまでは、約3kmほど。

歩こうと思ったら歩ける距離ですが、電車と徒歩で約25分ほどかかります。

距離の割には時間がかかる印象ですが、学校の授業が終わってから練習に行くには、比較的近くて問題なさそうですよね。

登校前に朝練に行っていた可能性もあります。

 

当時、横浜銀行アイスアリーナでは、お父さんの鍵山正和さんが、フィギュアスケートの専属インストラクターとしても働いていました。

 

この後でご紹介しますが、鍵山優真選手は中学時代から、様々な大会に出場し、素晴らしい成績をおさめています。

大会によっては、日本各地に行く必要があり、学校に通えない時期も多かったと思います。

そういったとき、スポーツの強豪校であれば、鍵山優真選手のような生徒がいたでしょうし、同じような前例があったと思います。

試合や遠征による欠席については、他の学校よりも理解が得られたのかもしれませんね。

  

鍵山優真/中学生時代の成績

鍵山優真選手の中学生時代の成績をまとめました。

中学1年生 2016年11月 全日本ジュニア選手権大会 総合11位
中学2年生 2018年2月6日 全国中学校スケート大会 総合2位
中学3年生 2018年8月4~5日 アジアフィギュア杯 優勝
2018年10月13日 ジュニアグランプリシリーズ
アルメニアン杯
総合2位
2018年12月24日 全日本選手権 総合6位
2019年2月 全国中学校スケート大会 総合2位

実は、鍵山優真選手の父親であり、指導者でもある正和さんは、鍵山優真選手が中学3年生の時に、病に倒れてしまいます。

2018年6月、鍵山正和さんは脳梗塞を発症。

2か月後の8月には、鍵山優真選手にとって初めての国際大会「アジアフィギュア杯」が控えていました。

そんな大切な試合に、本来帯同予定だった父・正和さんがいないという緊急事態。

しかし、鍵山優真選手はこの試合で優勝!!!

その後も、現在に至るまで、親子での二人三脚は続いています!

 

鍵山優真は”シャイボーイ”!?

中学生時代から、全国で結果を出し始めた鍵山優真選手。

全日本選手権に出場が決まった際に、当時通っていた六角橋中学校では、全校生徒の前で表彰しようとしました。

 

しかし、鍵山優真選手は「恥ずかしいから」と辞退します。

当時の担任の先生は、鍵山優真選手のことを「シャイボーイだった」と言っています。

 

もともとの性格が、シャイだった部分もあると思います。

しかし、中学3年生ともなると、いわゆる思春期で複雑なお年頃。

周りの目も気になりますよね。

シャイな性格と思春期も相まって、断ったのかなと想像しました。

 

鍵山優真の出身小学校はどこ?

鍵山優真選手は、出身地は神奈川県横浜市です。

2003年5月5日生まれの鍵山優真選手は、2歳の頃(2005年)に、富山県富山市へと引っ越します。

2歳で引っ越しなら、その頃の横浜の記憶はほとんどないかもしれませんね。

 

そして、2010年4月に、富山市内にある小学校へ入学!

しかし、翌2011年には、長野県北佐久郡軽井沢町へ引っ越します。

そのため、富山県の小学校に通ったのは、たった1年だけでした。

 

鍵山優真/富山県時代に通った小学校は?

鍵山優真選手が、富山県のどこの小学校に通っていたか、という明確な情報はありませんでした。

 

しかし、鍵山優真選手の出身の保育園が、にながわ保育園ということが分かりました。

施設名 にながわ保育園
所在地 富山県富山市上袋1−1
公式HP https://tkfukushikai.or.jp/ninagawa/

 

 そのため、にながわ保育園のすぐ近くにある富山市立蜷川(にながわ)小学校に通っていた可能性が高いのではと思われます。

にながわ保育園と蜷川小学校は、300mほどしか離れていません。

学校名 富山市立/蜷川小学校
所在地 富山県富山市赤田75−1
公式HP https://swa.toyama-city.ed.jp/weblog/index.php?id=toyama026

鍵山優真選手は、父・正和さんの仕事の関係で、2011年春頃に軽井沢へ引っ越します。

そのため、富山で小学校に行っていたのは1年だけ。

そんな事情もあり、富山で通っていた小学校については、公式プロフィールでも取り上げられていないのかもしれません。

富山で始まったスケート人生! 

ご紹介した通り、鍵山優真選手が富山に住んでいた期間は、それほど長くはありません。

しかし、鍵山優真選手のスケート人生は富山から始まっています!

 

鍵山優真選手が5歳の時、父・正和さんがインストラクターをしている富山スケートセンターでスケートを始めます。

施設名 富山スケートセンター
所在地 富山県富山市萩原445
公式HP https://toyama-skate.com/

そして6歳の時、テレビのインタビューで、スケートを始めた理由を答えています。

フジテレビSPORTSスポルト!チャンネル
【“親子二人三脚”鍵山優真SP動画】より↓

 6歳の鍵山優真選手が、かわいい!!

 

鍵山優真選手が6歳ということは、この動画が撮影/公開されたのは2009年頃。

ということは、富山で受けたインタビューだと思われます。

 

つまり、鍵山優真選手のスケートの原点は、富山にあるといえますね。

 

鍵山優真/長野県時代に通った小学校は?

鍵山優真選手は、小学校2年生の時に長野県軽井沢町立/軽井沢中部小学校に転校します。

この学校には、2011年から2016年3月まで在籍していました。

学校名 軽井沢町立/軽井沢中部小学校
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町長倉3734
公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000912/index.html

 

軽井沢時代の鍵山優真選手の練習場所は、軽井沢風越公園アイスアリーナです。

こちらは、父・正和さんがインストラクターとして働いているスケート場でもあります。

軽井沢中部小学校から風越公園アイスアリーナまでは4km弱で、車で8分ほどの距離。

バスなどで行って、富山の時同様、学校終わりに練習していたのではないでしょうか。

施設名 軽井沢風越公園アイスアリーナ
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町 発地1157−6
公式Hp https://www.kazakoshi-park.jp/


 

鍵山優真選手は、富山でも長野でも、スケート漬けの毎日だったと思います。

辛いと思ってやめたいと思った時もあったと思います。

父・正和さんも「フィギュアスケートをいつ辞めてもいい」と思っていたそうです。

それでも、フィギュアスケートをやめなかったのは、大好きなお父さんが練習場にいて、オリンピックに出るという目標があったからかもしれません。

 

鍵山優真の転居歴

 富山や軽井沢への引っ越し以外にも、 鍵山優真選手は、父・正和さんの仕事の影響で、何度か引越しをしています。

調査の結果、判明した転居歴は以下の通りです。

2003年5月~
2005年11月
神奈川県横浜市 2003年5月5日誕生!
2005年12月~
2011年3月?
富山県富山市 2歳~小1まで 5歳でスケートを始める
富山スケートセンター
2011年4月?~
2016年3月
長野県北佐久郡
軽井沢町
小2~小6まで 軽井沢風越公園アイスアリーナ
2016年4月~
2022年3月
神奈川県横浜市 中学/高校時代 横浜銀行アイスアリーナ
2022年4月~ 愛知県名古屋市 中京大学入学 所属/オリエンタルバイオ

2022年4月に名古屋へ移ったのは、中京大学に入学されたから。

2024年4月には、大学3年生になりました。

 

名古屋への転居以外は、お父さんの仕事の関係なので、仕方がないとは言っても、友達との別れを何度も経験したことで、寂しい思いをしたかもしれないですね。

しかし、今の立派な鍵山優真選手があるのは、父・正和さんが親子としても、スケートの指導者としても、愛情たっぷりに寄り添われたからだと思います。

 

※鍵山優真選手のご両親は、離婚をされています。
また、鍵山優真選手が中学3年生の秋に、父・正和さんは病に倒れてしまいます。

詳細は、こちらをご一読ください!

鍵山優真の母は蒸発?父は病気で脳梗塞!祖母が母親代わりでサポート
鍵山優真選手は、2022年2月に行われた北京オリンピックに日本代表として出場。 フィギュアスケート男子シングルで、銀メダルを獲得しました。 2024年4月には中京大学3年生となり、スケート部に所属しています。   鍵山優真選手について検索を...

 

鍵山優真選手の転居の理由は?

鍵山優真選手の転居の理由は、父・正和さんの仕事の関係によるものでした。

 

正和さんもかつて、フィギュアスケーターとして活躍していました。

男子シングル日本代表として、1992年のアルベールビル大会、94年のリレハンメル大会と、冬季オリンピックに2大会連続出場した一流の選手です。

正和さんは、1994年に現役を引退されています。

その後は、プロに転向。

1994年~2005年には、日本初のアイスショー「プリンスアイスワールド」に出演されていました。

 

その後、先述の通り、フィギュアスケートのインストラクターとして活動しています。

インストラクターとしての主な活動歴は以下の通りです。

2005年12月~2010年 富山スケートセンター専属インストラクター
2011年~2016年3月 軽井沢風越公園アイスアリーナ専属インストラクター
2016年4月~ 横浜銀行アイスアリーナ専属インストラクター
※中京大学他でも指導されているようです

 

さらに、カロリーナ・コストナーコーチと共に、息子である鍵山優真選手を指導されています。

【カロリーナ・コストナー】
1987年2月8日イタリア出身。
2014年ソチオリンピックの銅メダリスト。
冬季オリンピックには、4大会連続出場されています。

 

先程もご紹介したように、2018年6月に正和さんは脳梗塞を患っています。

その後、インストラクターとして活動については、規模を縮小されているかもしれません。

 

日本ではフィギュアスケートを練習する場所が限られていて、場所も各地に分散しています。

インストラクターをしていて、職場が変わると、引っ越しをせざるを得ないですよね。

今は、父子二人で練習拠点のある、愛知県名古屋市に住んでいるようです

 

鍵山優真は通信高校卒!

鍵山優真選手は、通信制の星槎(せいさ)国際高等学校横浜鴨居に入学します。

星槎国際高校には、2019年4月から2022年3月まで在籍していました。

学校名 私立/星槎国際高等学校横浜鴨居
所在地 神奈川県横浜市都筑区池辺町4654
公式HP https://seisa.ed.jp/kamo/

鍵山優真選手が、星槎国際高校に進学した理由は主に3つ考えられます。

 ・練習時間の確保がしやすいため
・練習場である横浜銀行アイスアリーナに近いため
・星槎国際高校はスポーツサポートコースがあり、個人競技の高校生アスリートに特化した学科があったから

 

まずは、練習時間の確保ですが、これは当たり前かもしれませんね。

実際に、鍵山優真選手は通信制の高校に通いながら、ほぼ毎日リンクで練習していたそうです。

そして、練習は夜10時まで続くこともあったそうです。

 

第2に、練習場である横浜銀行アイスアリーナからも離れていないため、通学日でも練習が可能という点です。

電車と徒歩で35分ほど(地図では緑のルート)で着きますので、学校終わりでも通いやすそうですね。

 

 

そして、第3に星槎国際高校にはスポーツサポートコースという学科があること。

こちらは、個人競技の高校生アスリート専門の学科です。

生徒は、学校外で個人競技に打ち込み、授業では、一人一人に合わせたカリキュラムで、必要な単位を取れる仕組みとなっています。

鍵山優真選手は、スポーツサポートコースの卒業生として、HP内で紹介されているポスターにも載っています。

参考:星槎国際高校横浜鴨居公式HP内ページ↓↓↓

https://seisa.ed.jp/images/seisa_sportscourse_guide.pdf

高校時代の親友は体操の岡慎之助!

星槎国際高校横浜鴨居時代の鍵山優真選手の親友は、体操選手の岡慎之助選手!

 

高校時代の鍵山優真選手について、同級生の岡慎之助選手がインタビューを受けています。

“「普段は“カギ”って呼んでいます。

それか“ゆまさん”ですね。

僕は、名字か“慎ちゃん”と呼ばれています」”

引用元:女性自身 2022/02/23

 

スポーツサポートコースの同級生は男女合わせて4人で、男子は岡慎之助選手鍵山優真選手のみ。

自然と仲良くなって、月一回の教室で会うと、アニメの話で盛り上がっていたそうです。

 

ずっと、練習漬けなので、学校の友達と話せる機会は、気が休まる時だったのだと思います。

こういう時間があったからこそ、練習ではより集中して打ち込めたのかもしれません。

 

岡慎之助選手は、2024年夏に開催されたパリオリンピックで、最も活躍された選手のひとりですよね!!!

団体総合と個人総合と鉄棒で金メダルを獲得!

平行棒でも銅メダルを獲得されました!

岡慎之助選手の活躍は、鍵山優真選手にとっても、自分のことのように嬉しかったのではないでしょうか。

さらに、これ以上ない大きな刺激を受けたと思います!

鍵山優真は中京大学へ

 鍵山優真選手は中京大学へ進学します。

入学は2022年4月で、2024年4月には3年生となりました。

学校名 中京大学(私立)
所在地 愛知県豊田市貝津町床立101
公式HP https://www.chukyo-u.ac.jp/

 

 鍵山優真選手が、中京大学に進学した理由は、以下の点にあります。

・通年でリンクが使える
・トップのフィギュアスケーターを輩出している

通年でフィギュアスケートの練習ができるリンクがある大学は、中京大学と関西大学のみです。

特に、中京大学は「安藤美姫選手」「浅田真央選手」「小塚崇彦選手」といったトップアスリートを輩出したことでも知られています。

 

鍵山優真選手も

“スケートでもっと上を目指したいと思ったので。

父とも、“環境で選ぶならここしかないよね”という話をしました」”

引用元:週刊女性PRIME 2022.04.14

 と語っています。

中京大学入学前の2022年2月には、北京オリンピックで銀メダルを獲得した鍵山優真選手。

金メダルを目指すためには、中京大学スケート部という環境はうってつけだったと思います。

 

また、愛知県名古屋市は、父・正和さんの出身地。

鍵山優真選手の祖母・佐治子さんも住んでいるので、生活面で安心できる環境ですね。

 

鍵山優真の母は蒸発?父は病気で脳梗塞!祖母が母親代わりでサポート
鍵山優真選手は、2022年2月に行われた北京オリンピックに日本代表として出場。 フィギュアスケート男子シングルで、銀メダルを獲得しました。 2024年4月には中京大学3年生となり、スケート部に所属しています。   鍵山優真選手について検索を...

まとめ

今回は、鍵山優真選手の出身校と転居歴について紹介しました。

 

神奈川県横浜市で生まれて、すぐに富山県富山市へ。

小学校では富山県の学校へ入学してすぐ、長野県に引っ越しします。

長野県では、小学校卒業までを軽井沢中部小学校に通っています。

中学校は、神奈川県の六角橋中学校、高校は通信制の星槎国際高校に通っていたことが分かりました。

そして、2022年4月から、中京大学に通っています。

 

様々な場所で暮らしながらも、常にフィギュアスケートに向き合った鍵山優真選手。

これからは、どんな演技を私たちに見せてくれるのでしょう。

今後の鍵山優真選手の活躍が楽しみですね!

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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