赤崎暁の高校や中学はどこ?拓殖大出身で身長/年齢などプロフも調査!

陸上/駅伝
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赤崎 暁(あかさき あきら)さんは、㈱九電工の陸上競技部に所属している長距離陸上選手です。

 

2024年夏に開催されるパリオリンピックにマラソンの日本代表として出場予定で、大変注目されていますよね!

今回の記事では、そんな赤崎暁選手の学生時代を調査!

高校や中学、さらに拓殖大学時代についてご紹介します。

長距離走に励む日本中の大学生が憧れる「箱根駅伝」には、出場経験がある?

 

さらに、赤崎暁選手の身長や年齢などプロフィールについても調査していきます!

【追記/2024.8.10】
赤崎暁選手は、パリオリンピックの男子マラソン競技で、自己新記録を達成!
6位入賞という結果を残されました!
赤崎暁選手、おめでとうございます!
▽この記事でわかること▽
■赤崎暁の高校時代は?
■赤崎暁の中学時代は?
■赤崎暁は拓殖大学出身!

■赤崎暁のプロフィール
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赤崎暁の高校時代は?

赤崎暁選手は、1998年1月21日生まれで、熊本県出身です

赤崎暁選手の出身高校は、熊本県熊本市中央区にある私立・開新(かいしん)高等学校です。

赤崎暁選手は、2013年4月に入学し、2016年3月に卒業しています。

【私立・開新高等学校】
住所:熊本県熊本市中央区大江6丁目1-33
公式HP:https://www.kaishin.ed.jp/
※2024年6月現在、開新高校の公式HPのトップ画面に、赤崎暁選手が登場します!


赤崎暁選手が陸上競技を始めたきっかけは、陸上競技をしていた父親の影響です。

とはいえ、実際に本格的に陸上を始めたのは、開新高校に入学してから。

 

先ほどご紹介した開新高校のクラブ活動紹介のページを見ると、この学校では「陸上部」ではなく「駅伝部」があるようです。

ですから、赤崎暁選手は、この「駅伝部」に所属されていたのだと思います。

 

当時、開新高校の駅伝部を指導していたのは、木村龍聖監督。

赤崎暁選手の熊本県中学駅伝での走りを見て、赤崎暁選手を発掘!!!

開新高校へ来て欲しいと誘ったそうです。

「 赤﨑選手の県中学駅伝での走りを見たが、本当にバネがあり、ケニア人のような走りをするセンスのいい走りをしていたので、勧誘して開新高校に来てもらった。

ものすごく勝気な性格。

負けず嫌いなところもあるし、非常に勝負事には適性があるのではないか」

引用元:くまもと県民テレビ(2023.10.16付)

なるほど、中学時代から光るものがあったのですね!

走りだけでなく、性格的にもアスリートに必須な「負けず嫌い」なところもあると、絶賛してくださっています。

 

しかし!

実は、赤崎暁選手は「大学には進まず、高校で陸上もやめるつもりだった」そうです。

高校卒業を機に陸上を辞めようと思っていた、その理由は2つあったようです。

 

理由①怪我に悩まされていたから

本格的に陸上を始めたのが高校からだった赤崎暁選手ですが、早くも高校時代から怪我に泣かされていたようです。

具体的な怪我の症状や、程度については情報を見つけることが出来ませんでしたが、練習ができない、思うような成績が出せない等の辛さを経験されたようです。

故障で継続的に練習できず、「大学には進まず、高校で陸上もやめるつもりだった」。

引用元:読売新聞オンライン(2023.12.14付) 

 

理由②全国レベルの成績が出せていなかったから

当時の赤崎暁選手は、「高校卒業後も陸上選手としてやっていく」と思えるような自信がなかったようです。

地元・熊本県内ではそれなりの成績が残せても、全国レベルでみたら自分は太刀打ちできない。

陸上競技は、タイムで争う競技ですから、他の選手との差がはっきりとその数字に表れます。

「上には上がいる」と考えると、大学に進学してまで競技を続けるという気持ちになれなかったのでしょうね。

 

そんな赤崎暁選手は、高校卒業後は製パン会社への就職を希望していたそうです!

その理由は、「パンが好きだから」!!!

何とも、可愛らしい(失礼!)ですよね!

 

しかし、そんな気持ちが徐々に揺らいでいったのは、高校3年生になってから。

高校3年生になり、少しづつ「結果」が残せるようになってきたのです!

 

赤崎暁選手の高校時代の陸上戦績について調べてみたところ、高校3年生の時に出場された2つの試合に関する情報を見つけました!

 

2015年10月31日に行われた「熊本県高校駅伝」に出場され、赤崎暁選手はトップバッターである1区を担当!

2区の走者へ5位でタスキを渡し、開新高校は48校中3位でゴールしています。

 

※赤崎暁選手個人としては、5位という結果ですが、タイムを見てみると、トップの選手が「31分29秒」に対し、赤崎暁選手は「31分48秒」!
その差は、19秒でした!

 

さらに、2016年1月24日に開催された第21回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に、熊本県代表のひとりとして参加されていたことがわかりました。

赤崎暁選手は、4区5kmを担当し、区間10位の成績でした。

 

この2つの試合のうち、特に2016年1月に参加した都道府県対抗駅伝で、熊本県代表に選ばれたことは、とても嬉しかったのではないでしょうか。

そして、この試合で初めて「全国区デビュー」したことになったのだと思います。

 

さらに、大学進学を決めた最終的なきっかけは、当時の拓殖大学陸上部・岡田正裕監督との出会いでしょう。

赤崎暁選手と同じく、熊本県出身の岡田正裕監督に声をかけられたことで、大学進学が具体的に想像できるようになったのではないでしょうか。

パン好きで、製パン会社への就職を希望していたところ、3年時に成績が上向き、同じ熊本出身で当時の拓大監督、岡田正裕さんの誘いで道が開けた。

引用元:読売新聞オンライン(2023.12.14付) 

赤崎暁選手は、岡田正裕監督に見いだされたことで、人生が大きく変わったと言えそうです。

もし高校卒業を機に陸上を辞めていたら、パリオリンピックに出場することにはならなかったでしょうね!

 

赤崎暁の中学時代は?

赤崎暁選手の出身中学は、熊本県菊池郡大津町(おおづまち)にある大津町立大津中学校です。

2010年4月に入学し、2013年3月に卒業しています。

 

中学時代はバレー部に所属しながら、陸上部の朝練や大会に参加していました。

 

先ほどご紹介したように、赤崎暁選手が本格的に陸上競技に取り組み始めたのは、開新高校で駅伝部に入ってからです。

中学時代に、なぜ陸上部に入らなかったのかについては、その理由を見つけることが出来ませんでした。

「陸上部が嫌だった」わけではなく、「バレーボール部に入りたかった」だけかもしれませんね。

 

本格的に陸上競技に取り組む前から、地元熊本のマラソン大会では陸上部の選手よりも足が速かったようです!

きっと、絶えず陸上部から熱烈なお誘いを受けていたのではないでしょうか。

「陸上部員」ではないのに出場した「駅伝」

その走りを見た開新高校の木村龍聖監督に、見いだされたわけですね。

 

赤崎暁選手の陸上競技の才能は、陸上経験者だった父親譲りなのかもしれません!

 

赤崎暁は拓殖大学出身!

赤崎暁選手は、地元・熊本にある開新高校卒業後、大学に進学!

2016年4月に東京/文京区にある拓殖大学商学部に入学され、2020年3月に卒業しました。

本格的なコロナ禍に入る時期に大学を卒業、というタイミングです。

【拓殖大学/商学部】
住所:東京都文京区小日向三丁目4番14号
公式HP:https://www.takushoku-u.ac.jp/


先程もご紹介したように、赤崎暁選手は、高校卒業後は大学に進学せず、就職するつもりでした。

そして、陸上についても、高校卒業を機に辞めるつもりでした。

 

しかし、同じく熊本出身で当時の拓殖大学陸上競技部の監督・岡田正裕(まさひろ)さんに誘われる形で拓殖大学に入学。

大学でも陸上を続けることになりました。

 

大学1年~3年時までは、岡田正裕監督、4年生からは監督が代わり、山下拓郎監督に指導を受けました。

 

拓殖大学の陸上競技部は、1933年(昭和8年)に箱根駅伝に初出場!

初出場から現在までの約90年間で、出場回数は42回を数えます。

残念ながら、優勝経験はないものの、比較的コンスタントに出場している常連校と言えるでしょう。

 

では、赤崎暁選手が拓殖大学に在学していた4年間は、どうだったのかと言うと・・・

赤崎暁選手が1年生(2017年1月)から4年生(2020年1月)まで、4年連続で箱根駅伝に出場しています!

拓殖大学が4年連続で出場したというのもスゴイことですが、赤崎暁選手はその4年間、毎年箱根路を走りました!

 

「箱根駅伝皆勤賞」という選手は、意外と少ないので、これはスゴイことだと思います!

さらに、赤崎暁選手は4年生の時には、陸上競技部の主将を務めています。

チームの中心的選手だったことがわかりますね。

 

こちらのX(旧Twitter)は、赤崎暁選手が4年生の時の箱根路での走りです↓↓↓

拓殖大学在籍中、毎年箱根駅伝に出場されていたものの、赤崎暁選手個人の戦績は、1年生から3年生まで全て2桁順位。

4年生で出場した最後の箱根駅伝では、主将という立場で3区を走りましたが、左足を痛めていた影響から、満足に走ることができず、不完全燃焼の区間9位という結果に。

しかも、拓殖大学としての最終順位は13位。

10位以内に入れなかったことから、来年に向けてのシード権も逃してしまい、とても悔しい結果に終わりました。

 

【赤崎暁選手の箱根駅伝の戦績】

  区間 時.分.秒 区間順位 チーム
2017年(1年生) 93回大会  10区 1時間13分05秒 12位 14位
2018年(2年生) 94回大会 3区 1時間04分08秒 10位 8位
2019年(3年生) 95回大会  1区 1時間04分26秒 18位 9位
2020年(4年生) 96回大会 3区 1時間02分53秒 9位 13位

 

赤崎暁選手は、拓殖大学時代を振り返り、以下のようにコメントされています↓↓↓

箱根ではスターになれなかった。

でも糧にはなった。

「一番悔しい経験だけど、あそこで満足していたら今の自分はない。

バネにしようと思ってやってきた」

引用元:読売新聞オンライン(2023.12.14付)

 

大学時代には、ストイックに勝負にこだわるあまり、試合に向けて色々なルーティンがあったようです。

例えば、大学時代はレース前に「必ず親子丼を食べる」ことにしていたそう。

しかし、大学を卒業してからは、そういったことにはあまりこだわることなく、考えすぎないようにしているとのことです。

 

【赤崎暁/大学時代の主な記録】
■10000m公認:28分27秒90
■ハーフマラソン公認:1時間01分46秒

 

赤崎暁のプロフィール

それでは、赤崎暁選手のプロフィールをご紹介します!

赤崎暁選手は、2024年7月に開催されるパリオリンピックに、マラソンの日本代表として出場されることが決まっています!

熊本出身者で五輪マラソン代表になるのは、箱根駅伝創始者で「日本マラソンの父」と呼ばれる、金栗四三(かなくり しそう)さん 以来、100年ぶり2人目となる快挙!

氏名 赤崎 暁
(あかさき あきら)
生年月日 1998年1月21日
年齢 26歳
(2024年6月現在)
出身地 熊本県菊池郡大津町(おおづまち)
学歴 大津町立大津中学校 卒業
私立/開新高校(熊本) 卒業
私立/拓殖大学(東京) 卒業
所属 九電工 陸上競技部
(2020年4月~)
身長 170cm
体重 53kg
趣味 スイーツを食べること
美味しいスイーツ店探し
NB(ニューバランス)※注1
休日の過ごし方 Netflix
買い物
美味しいものを食べに行く
レース前のルーティン 音楽を聴く
好きなタレント AAA(トリプルエー)の宇野実彩子さん!?※注2
結婚 不明(彼女や結婚の噂は確認できず)
公式サイト/SNS 九電工陸上競技部
赤崎暁Instagram

※注1「ニューバランス」について

赤崎暁選手はニューバランスとアスリート契約を締結しています。

拓殖大学時代からニューバランスのランニングシューズを愛用中!

↓こちらのInstagram、めちゃくちゃカッコいいです!

※注2「宇野実彩子」さんについて

読売新聞社『箱根駅伝ガイド決定版』の名鑑に『ホノルルマラソンを完走してきた宇野実彩子(AAA)が好き』とのコメントが!

 

拓殖大学を卒業し、現在は九電工の陸上競技部で選手生活を続けている赤崎暁選手。

九電工への入社の決め手は、2019年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で4位入賞した大塚祥平選手の走りに感銘を受けたから!

 

大塚祥平選手は、駒澤大学出身の長距離陸上選手。
大学卒業後に九電工へ。
1984年8月13日生まれで、赤崎暁選手の4歳年上。
大分県大分市出身。

 

九電工に入社してからも、お手本となる存在として、大塚祥平選手の名前を挙げています。

圧倒されるのは、大塚祥平選手の練習量だとか!

赤崎暁選手と大塚祥平選手のマラソンに向けた3カ月間の走行距離を比べると、大塚祥平選手は赤崎暁選手より300~400キロほど多い距離を走るそうです。

2023年10月15日に行われた「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で準優勝し、パリオリンピック行きを決めた赤崎暁選手。

この試合の前に受けたインタビューの中で、以下のように答えています↓↓↓

今回はしっかり距離を増やし、いい勝負が少しでもできたら。

大塚さんをまねしても多分壊れるだけだから、うまく自分の体に合うように持っていけるかがこれからの課題。

引用元:西スポWEB(2023.07.07付)

同じチームの先輩である大塚祥平選手から刺激を受けつつも、自分にあった練習方法を模索してきた赤崎暁選手。

その結果、見事に「オリンピック出場」という目標を実現させましたね。

次は、そのオリンピックで結果を出すこと!ですね!

パリオリンピックには、万全のコンディションで臨み、実力を発揮できますよう応援しています!

まとめ

今回の記事では、赤崎暁選手の学歴や、学生時代の主な戦績についてご紹介しました。

陸上競技経験者の父親の影響を受けて、開新高校入学後から本格的に陸上競技を始めました。

 

高校時代は全国的に有名な選手ではなかったことや、怪我に悩まされていたことから、高校時代で陸上競技を辞めるつもりだった赤崎暁選手。

しかし、同じく熊本出身で当時の拓殖大学陸上競技部の監督・岡田正裕さんに誘われる形で拓殖大学に入学。

大学卒業後は九電工に入社。

2024年夏に開催されるパリオリンピックにマラソン日本代表として出場予定なので、皆で応援しましょう!

【追記/2024.8.10】
赤崎暁選手は、パリオリンピックの男子マラソン競技で、自己新記録を達成!
6位入賞という結果を残されました!
赤崎暁選手、おめでとうございます!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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